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第五回野田城伝の準備進めています

 第五回野田城伝の準備進めています。

 これまで、観客席は丸太でした。野田城本丸に生えていた杉・檜の間伐材を観客席に使っていましたので、丸太の径は大小バラバラでした。特に小径の丸太は、「長く座っているとお尻が痛い」という声がありましたので、今年は小径の丸太を処理(薪燃料にします)し、折り畳み椅子(神社にあるような椅子です)に変更します。

 野田城入口から入り(二ノ丸)、本丸までの柵の竹を取り換えました。4年が経ち、竹も杭もかなり傷みました。併せて、お店の竹枠も全て取り替えます。演奏の舞台(写真のブルーシートのかけてあるもの)は、まだしっかりしています。この舞台が朽ちない内に、野田城がもっと多くの人が楽しんでもらえる場所にしたいものです。

 作業は、50代から80代の御老人に20代の若者が加わりました。
 
 9月3日、第五回野田城伝です。是非、お誘いあわせの上お越しください。


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第四回野田城伝、今年は大雨

 9/6、第四回野田城伝を開催しました。早朝には、太陽が顔を見せていましたが、午後2時過ぎには大雨で、やむなく中止。

 午前11時開始の頃には、雨が時々降る程度でした。写真の様に、太鼓演奏から始まりましたが、琴演奏は、テントの中、音だけが会場に響きました。臨時の屋根を舞台上に作り、三味線、尺八は、その下での演奏。会場のお客さんには、しばしの心地よい空間を楽しんでもらえました。

 各種出店もありましたが、雨には勝てませんでした。野外での企画ですので、こういうことも仕方がないですが、残念でした。4回目にして、「語りと篠笛コンサート」が出来ませんでした。途中、何人かから問い合わせがありました。期待してくれていた人の存在が、次も頑張ろうという気持ちになります。

 4年前には、木が林立した山になっていた場所に人が集まるようになったことがまず一歩です。「武田信玄、撃たれる」場所の言い伝えを、次世代に伝えて行きたいと思います。

 来年も続けます。


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信玄撃たれる

 今日(9/3)、「片岡愛之助の解明!歴史捜査」(放送局 BS日テレ)の取材が新城市に入りました。
9/17放送(21時~22時)「武田信玄 死のミステリー(仮題)」の取材のためです。午前中に設楽原歴史資料館で、「信玄砲」「菅沼家家譜」などをもとに、資料館の湯浅さんからの説明を受け、その後信玄が撃たれたという言い伝えが残る野田城址で撮影を行いました。

 今回の放送目的は「織田信長、徳川家康が最も恐れた男、『甲斐の虎』武田信玄。戦国最強を誇った武田騎馬軍団の戦績は49勝3敗20分。他の武将と比べ圧倒的な勝率の高さだった。
 もし、信玄にあと少しの余命があれば、信長、家康を打ち滅ぼし、その後の日本史をすべて塗り替えたであろうとも言われる。
 その武田信玄の 死 については、戦国の世を揺るがす大事件でありながらもその死は謎のベールに包まれていた!今回は、未だ特定されていない信玄の『死因』、そしていくつもある『終焉の地』を歴史捜査し、真実に迫ります」です。

 毎回、刑事が様々な証拠を結び付け、合理的に推理し、明らかな歴史の事実をもとに、歴史捜査という新たなアプローチで歴史の真実を解明していくという番組が、上記の番組です。

 僕たちは「もし、信玄が野田城の戦いで撃たれなければ、歴史は大きく変わった。信玄の死で、信長の天下統一に大きく動き、戦国時代の終わりを速めた。新城市が歴史転換の真っただ中にいた」と発信しています。
何百年も歴史資源としての管理を放置してきた野田城址が、取り上げられたことを活かしたいと思います。

 新城市には歴史も自然も一杯あると多くの市民は言いますが、現実には多くの観光客を迎えられる状況にはなっていません。市外の人たちに新城市を知ってもらうこと、新城市で楽しんでもらうことで、新城市のまちづくりを進めたいと考えています。あれもこれもはできません。まず、全国でも名高い長篠・設楽原の戦いをベースに、それに関する資源を結び付けて行きたいと考え、野田城址、長篠城址、鳳来寺山 仁王門での篠笛コンサートを計画しています。

 新城市民自身が自慢できるものにしていくことが目的です。自己満足ではなく、多くの人が新城市を目指したいと思えるものにしていきたいと思います。「新城市ってどこにあるの?」という現状が、「あの新城市ね」と言える状況になれば、外に出て行った若者だって新城市を自慢できるようになるでしょう。

 自分のまちを自慢できない市民ばかりのまちは、当然魅力を失います。魅力の無いまちには若者は残りません。魅力の無いまちには、移住者も出てきません。頑張っている大人がいるまちには、頑張る若者が育つでしょう。「消滅可能性都市」にならない一番の取組は、住んでみたいまちを自分たちで創造し、自分たちで創ることです。

 何もないまちが頑張っています。新城市には歴史も自然も一杯あることは、自他ともに認めています。必要な事は、その資源を活かすことです。それが、市内外の交流を広げ、大きな観光産業に結び付いていくことにもなります。結果、市内の経済循環も大きくなるでしょう。「消滅可能性都市」とあきらめるのはまだ早い。できることは山ほどあります。多くの市民のやる気に火を付けたいと思っています。

 以下に、今回の撮影風景を載せます。9/17の放映を楽しみにしています。

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第四回野田城伝の会場整備を行いました

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 昨日(8月22日)は、会場整備を行いました。写真の舞台は間伐材で作りました。もう3年前の話になります。この日は、防腐剤を塗りました。まだ、ほとんど痛みはありません。この舞台で野田城伝が繰り広げられます。

 作業者は写真の通りです。一番若い(57歳)のが僕です。最高齢は83歳です地元豊島の方です。野田城保存のためと当初から参加してくれています。


 作業中に、田原市の夫婦と御殿場市から来たという若者が見学に来てくれました。田原市の方は、「歴史に興味があり来ました。新城市には色々な歴史ありますね」と話され、本丸・井戸・信玄が撃たれた時、座っていた場所などを回られていました。

 御殿場の若者は、「新城市の城めぐりをしています。新城城の址も、長篠・設楽原の戦いも看板だけで見るものが少ないですね」と残念がっていました。

 歴史・自然が豊富と新城市民は自慢しますが、十分な連携、整備が取れていないと思います。その活かし方で、市外の方たちに、もっと楽しみながら新城市を知ってもらえるようになると思います。その一つになればと思って「笛の盆」を続けたいと思います。


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9/6野田城伝、会場案内図です

 9月6日(日)、第四回野田城伝が近づいています。当日の会場案内図が出来ました。「信玄最後の城攻め」の野田城址にお越しください。

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